園田眞理子(1997.4~現在) 専任講師
1.研究室の沿革
建築計画・園田研究室は,1997年4月に創設されたばかりの研究室です。建築計画の分野で長い歴史と伝統ある本学の建築学科で,特に住宅・住環境に関する計画研究と教育を担うことが本研究室の役割です。住宅・住環境は人々がもっとも身近に接する建築空間であり,建築の出発点として,その重要性はいうにおよびません。
また,本研究では,時代の大きな流れである少子・高齢化に対応した住宅・住環境の在り方を中心的な課題にすえています。日本の高齢化率は,2005年には20%に達します。また,高齢者が一人でも含まれる世帯の割合は,全世帯の3分の1にまで既に達しています。他方,少子化の傾向も顕著で,合計特殊出生率は1.5を割り込んでいます。これからの時代は,戦後50年間の社会構造,都市構造を大きく変革し,老若男女だれもが主役になって生き生きと生活できる環境を整えなければなりません。そのために建築分野でできることを明らかにし,それを実践していくことが,本研究の目的です。
卒業生は,1999年3月に始めての第一期生として5名が巣立ち,2000年3月には,15名の学部生と1名の大学院生が社会人としてのスタートを切りました。就職先は,ハウスメーカー,金融関係,あるいはNGOに所属しタイ・ラオスで活動を始めた者など多様です。旧来の建築の枠組みを越えて,新たな可能性に踏み出そうとしているのかもしれません。本研究室の未来は,こうした若い瑞々しい力にかかっています。
2.研究方針および研究課題
「自ら課題を見つけだし,それに関する知見や考察を深め,具体的な計画提案・設計提案にまで結びつける」,本研究では自主性と,自己責任を第一に考えています。
具体的な研究テーマとしては次のようなことに取り組んでいます。
卒業生,修了生がまだ少ない中で,既に9題の卒業研究,1題の修士論文が合格し,また対外的も積極的に発表しています。
今後ますます少子・高齢化の影響が大きくなるなかで,建築界のみならず,より広い分野で貢献していくことが本研究室の目標です。
【文中敬称略】
浦 良一(1953.4~1998.3)講師→助教授→教授→名誉教授
木村儀一(1966.3~現 在)助手→専任講師→助教授
1979年に建築計画弟3研究室をもつ(次欄参照)
川嶋雅章(1978.3~現 在)助手→専任講師
1996年4月から地域計画研究室をもつ
1.研究室の沿革
本研究室は,浦が東京大学の建築学科の大学院特別研究生を修了して,明治大学に就任した昭和28年4月に設立された。赴任した頃の明治大学は学生数も少なく,教室もこじんまりしていた。建物はお茶の水の聖橋校舎で,計画関係は徳永勇雄先生,篠原先生と一緒の部屋にいた。その頃は事務員の中島健太郎さんも同じ部屋だった。その後大学院の建物が出来てからは,それぞれ別の部屋になった。
研究室の組織は,浦研が出来てから研究室の助手は田耕培君(現漢陽大学明よ教授),後には木村儀一君(助教授),そして川嶋雅章君(講師)に至っている。この間には2部の学生で昼間研究室に配属されている研究室学生がいた。このような勤務をして研究室を支えてくれた人に小栗英男(昭和41年卒),増田浩子(昭和40年卒),神田徳蔵(昭和42年卒)の諸君がいた。
この間に研究室でゼミナールを履修し,卒業していった人は既に559人,大学院で修士論文をまとめた人は82人,博士論文をまとめた人は6人に達する。
2.研究内容
当研究室ですすめてきたことは大きくは2つからなります。その一つは単体の建築計画に関する研究で,他は地域施設設置計画に関するものです。
単体の建築計画は建築空間のなかでおこなわれる生活行為との対応をみることによって設計の手がかりをえようとするもので主に病院建築とか農家住宅,農村の集会施設を対称としておこなってきました。一方その成果を設計に反映させるためにいくつかの病院設計にも参加してきましたが,千葉がんセンターは診療の変化に対応するものとして成長しやすい建築型を提案したものです。他の大阪府立病院では光庭をとることによって外周長を長くしたもので病棟計画の一つの方向をしめしたものです。
一方地域施設計画に関する研究は都市とか農村地域での各種の地域施設(学校教育,医療福祉施設等)の規模とか設置単位を設定するために,地域内の居住者の行動と地域空間との対応をみることによって設置計画のよりどころを求めようとしたもので建築計画研究室の地域への発展ともいえます。住宅団地に於ける医療需要,医療利用傾向によって住宅団地医療施設設計方針を作成したのにはじまります。これらの成果は千里ニュータウンでの施設計画とか八郎潟干拓地での農村計画に適用され,その後広域市町村圏計画,各県での医療圏計画,更に過疎地域での振興計画に発展しています。
又海外では中国はじめ広くアジア地域で病院建築計画,農村計画,医療圏計画に関する交流を進めていきました。
なお,研究室のOBの中には,
特異な活動をしている人がいる。
3.うら会
昭和33年頃に研究室を出た人がうら会をつくってくれた。名簿の整理,年1回の会合を開いてきている。それとは別に毎月1回勉強会を開いている。この会合は神田の校舎を使って,時には外部からも講師を招くこともあるが,研究室を出た人を主に講師として,仕事の紹介をしていただいている。また,時には見学会も行っている。さらに,OBの親睦を兼ねた年2回のゴルフも行われている
研究室の先輩のなかには海外で働いている人もいるということがあるが,中国,台湾,韓国,欧州,フィリッピンの建築視察も行ってきた。また,韓国では漢陽大学に田耕培,金光分君の二人が教職(現在名誉教授)にあり,両君がそれぞれ農村建築,病院建築の専門であることもあって,日本,韓国双方で研究会,見学会を行ってきた。
【文中敬称略】
木村儀一がゼミナールを担当して早21年目になります。従って,今日までに20回,総計258人の皆さんとゼミナールの場で出会ってきた事になりました。
研究室では皆さんと進めてきたことは「地域・地域施設の調査・計画,研究,と基本設計」等でした。
さて,これらはどれだけ皆さんのその後に,また社会に役立ってきたであろうかと思うと,今持って未熟さを痛感いたします。
今日まで取り組んで来た主なテーマを振り返り,木村研の活動紹介とさせていただきます。
地域計画・研究
建築計画・研究,設計
その他
以上をゼミ生,院生等と共に進めてきたものです。
・小生個人の最近の経験ですがJICA短期専門官として北京滞(98年8~10)
【文中敬称略】
河野 輝夫 (1949~1959)教授
杉山 英男 (1953~1960)専任講師→助教授→教授-
-建築構造第三研究室
北原 勘吾 (1953~1960)助手→山下設計事務所
小倉弘一郎 (1954~1991)専任講師→助教授→教授→名誉教授
狩野 芳一 (1959~現在)専任講師→助教授→教授-
-建築構造第二研究室
亀田登与三郎(1960~1998)助手→専任講師-部材力学・設計研究室
建築構造研究室は,昭和24年(1949年),建築学科創始者の一人河野輝夫教授(在職期間1954年~1959年)によって開かれた。
その後,杉山英男,北原勘吾,小倉弘一郎,狩野芳一,亀田登与三郎が専任教員として就任研究室をなした。
河野は河野建設(株)の社長も兼ね,建築構造,構造力学,構造計画など広く構造関連の講義をもち,研究には鉄骨山形ラーメンのPD工法など新工夫の構造の開発研究が目立つ。昭和30年(1955年),病に倒れ(脳溢血),身体不自由となり,闘病4年余,再度教壇に立つこと能わず,昭和34年3月に退職,研究室の主催は小倉が継いだ。
杉山英男は木質構造の研究者として活動,講義は,応用力学,構造力学などを手伝ったが,杉山研,後の建築構造第3研究室を開く。(杉山研,建築構造第3研究室の項を参照)
小倉弘一郎は鉄筋コンクリート構造研究者として活動,講義は建築構造Ⅱ(鉄筋構造)鉄筋コンクリート構造及び構造設計などを担当,後に鋼構造と構造設計概論,構造実験・演習を担当する。1991年度に定年退職(選択定年),以後,兼任講師として講義を担当。
北原勘吾は実験助手として河野教授及び小倉,杉山を補佐したが,昭和35年(1959年)に退職(山下設計事務社に勤務)。後に亀田登与三郎が実験助手として就任した。
小倉・亀田の研究は,鉄筋コンクリート構造,特に,高強度鉄筋及び異形鉄筋の開発研究,異形鉄筋の付着,定着関係の研究,鉄筋配筋ディテールに関する研究,耐震補強,耐震診断,現場打ち気泡コンクリート構造に関する研究など多岐にわたり,学協会に有用な成果を発表した。なお,小倉は,東大大学院当時の研究も含め,「高強度異形鉄筋コンクリートの実用化に関する一連の研究」に対して,昭和40年(1965年)度の日本建築学会賞(論文)を受賞した。
亀田登与三郎は1994年に講師に昇格し,部材力学・設計研究室を開設,講義は応用力学,構造設計論,構造実験を担当した。研究活動は鉄筋コンクリート構造研究者として狩野研究室として狩野研究室の高木の助手の協力を得て,従来から行ってきたRC造配筋ディテール,耐震診断および補強など継続研究を進めていたが,1998年健康上の理由で,選択定年により退職した。退職後兼任講師として1年間抗議を担当した。在職中は教育研究の傍ら建築学会同窓会(明建会)を事務局長として面倒をみており,1994年に会長(第二代)に就任,退職と同時に辞任している。
有効に利用した施設・機器には材料強度試験機が多い。聖橋校舎当時は20ton万能試験機,利用高さ及びスパンを拡大した100ton万能試験機を頻繁に利用し,これは生田校舎に移設してまでも用いた。文部省助成による200ton構造物試験装置の利用も頻度が高く,構造材料系の他の研究室も含めて,大小各試験体の圧縮,曲げ,曲げせん断など耐震性に関する実験が数多く行われた。
建築構造第一研究室のゼミナール出身者は,河野,杉山,小倉,北原が指導に携わった1~8回生では85名,小倉・亀田が指導に携わった9~40回生では402名,亀田・高木の42~48回生では25名,系512名(内41名は大学院)であり,コスモス会と名づけられ,年一回の親睦化を持っている。
【文中敬称略】
狩野 芳一 (1959~現在)助教授→教授
金澤 稔 (1969~1971)助手→株式会社 大林組
高木 仁之 (1978~現在)助手→兼任講師
建築構造第2研究室は,昭和36年(1951年)頃,狩野が本格的に独立の研究活動をするようになって開かれた研究室であり,鉄筋コンクリート構造,プレキャストコンクリート構造及び構造設計の合理化を主要な研究対象としている。昭和44年(1969年)に金澤が大学院修士課程を終えて実験助手として着任し,「鉄筋コンクリート部材の長期たわみ」の研究を行う傍ら狩野を補佐したが,昭和46年(1971年)に退職し,構造設計者として大林組に入社した。昭和53年(1978年)からは高木が大学院博士(後期)課程を退学して助手に就任し,学生に実験,実習,演習,ソロン,修論などの指導にあたったが,1998年専任講師に昇格し,独自の研究活動を開始した。
当研究室の研究テーマは,鉄筋コンクリート造格子床の研究に始まり,次いで梁のねじり,スラブの長期たわみ,梁のせん断,耐震壁,フラットスラブ・フラットプレート構造の柱とスラブの接合部の挙動,鉄筋の機械式継手の性能評価,異形鉄筋の付着割裂等に拡大し,多くの研究成果を公表しているが,特に純ねじりから・曲げ・せん断・ねじりの組み合わせ加力までに至る一連の研究に対しては,狩野が昭和54年(1979年)度日本建築学会賞(論文賞)が授与されている。高木は耐震壁を主要研究課題としているが,この他,高強度材料を用いた鉄筋コンクリート部材のせん断,付着割裂など,広く狩野の共同研究者としても実績を上げている。この他,日米共同大型耐震実験研究フェーズ4「プレキャストコンクリート耐震構造システムの開発」で狩野が日本側委員長を務める等,学外諸機関と協力しての研究活動への参加も多い。
この研究では,従来,5tonパネル試験機,鉄筋コンクリート用に改造した50ton・cmねじり試験機,100ton万能試験機,200ton構造物試験装置及び付属の簡易反力床,50ton反力フレーム等を用いて行う実験を主体としてきた,昭和55年(1980年)非線型有限要素法による解析プログラムを開発し,論理的解析プログラムを費用するようになった。
学生の教育では,実験により実挙動を理解させると同時に鉄筋コンクウリーとの挙動を力学モデルに基づいて理解させること,実挙動と設計式の関係を覚えさせること,設計法の背景と問題点を認識させることを重視して講義および研究指導を行っている。
構造第2研究室のゼミナール出身者は,昭和34年(1959年)から数えて409人,大学院出身者は51人で固い結束を保っており,このうち6人が工学博士の学位を授与されている。
【文中敬称略】
飾り 建築構法研究室
山本 公也(1969~現在)専任講師→助教授→教授
1.研究内容の概略
近年行った研究および現在進行中の研究についての概要は下記の通りである。
(1)建築構法の表面精度に関する研究
各種建築構法の表面精度の測定法の提案とその方法を用いた実測調査
(2)家具の置かれ方に関する研究
住宅都市整備公団(現都市基盤整備公団)の団地において家具の設置状況を調査し,部屋の用途や壁面の状況と家具の置かれ方の関係について分析
(3)富山県における住宅実態調査
持家率と1万戸当たり床面積において全国で最高水準にある富山県の住宅について調査を行い,ややクラシックなタイプの大型の住宅プランの傾向を把握すると同時に雪処理 の方法について分析
(4)住宅における転落事故防止に関する研究
幼児を持つ家庭を対象にして転落事故に関する調査を行い,階段,窓,バルコニー等における事故の状況,原因を明らかにし,転落事故防止に役立つ設計指針を見る。
2.業績および作品
論 文
1974 BEコストによるプランの評価 日本建築学会論文報告集
1974 建築の平面計画の最適化のケーススタディ 同 上
1978 建築構法の表面精度について その1 明大工研報告
1983 家具の置かれ方に関する研究 日本建築学会論文報告集
1984 「続き間」について 明大工研報告
作品及び計画案
1977 石綿スレート協会十住宅設計競技 2席入賞 石綿スレート協会
1977 富山県教育記念館 新建築
1978 読売住宅設計コンクール 3席入賞 読売新聞
1986 県立富山高校100周年記念館 新建築
1986 会津鬼怒川線上三依塩原設計競技 2席入賞 栃木県藤原市
【文中敬称略】
中村幸安(1970~2001)専任講師
本研究室は,1990年4月から,独立した研究室として発足した。以来,当研究室で卒業研究並びに中村ゼミナールで学んで卒業した学生数は,100名を越える。それまでは,建築計画第一研究室・建築経済研究室に在籍した。
こうした当方の研究・社会活動を背景にした研究室では,大学院の学生も預かりつつ,非常に幅広い研究領域で学生は自由に研究に取り組んでいる。当方の教育理念としている『テーマは与えない』に基づき,学問研究の『認識論』と『方法論』の研究に大方の時間を割いている。
【文中敬称略】
川嶋雅章(1978.3~現在)助手→専任講師
本研究室は,1996年4月に設立された研究室で、正式には専任講師になった1997年4月から始動した。
川嶋は1974年に明大建築学科修士を修了してから建築計画総合研究所に4年間勤務して,1978年4月に明治大学に助手として就任した。浦良一教授の建築計画第2研究室に所属し、主に農村地域を中心に研究を行ってきた。
主な研究内容としては,
現在の研究テーマは,新たな環境保全型農村集落の維持・管理システムに関する研究,児童・子供の農的体験を通じた環境教育に関する研究などを共同で行っている。また,フィールドワークとして静岡県や神奈川県で住民参加の集落計画策定,民家の保存・再生などまちづくりと関連させて行っている。
ゼミナールの活動は,地域計画に関する文献,新聞,講演会,シンポジュムなどからの学習会を,夏休み期間中にはフィールドワークを行い,現地踏査,資料収集,ワークショップ,資料整理などの計画手法を地域から学習する。年間2回のゼミ旅行や月1回程度の見学会を実施して先進的な地域計画や地域施設の視察を行っている。
卒業生はわずかに23名で,就職先は厚生省,県庁,都市計画コンサルタント,ハウスメーカー,設計事務所,建設会社,農業生産法人,NTTDoCoMo,他大学の博士課程など様々である。大学院修了者が4名(内2名は浦先生の指導)いる。
【文中敬称略】
都市計画研究室
加藤 隆 在職期間 1965年~現在
福川 雄一 同 1978年~1981年
西村 幸夫 同 1982年~1987年
当研究室は1965年創設。専攻は都市計画・地域計画・都市設計。フィールドワークを中心にしているが,大量観察,少数列の記述的方法,いずれとも限定せず,対象に応じ適用している。将来は計画論,歴史的環境の保全,環境心理などの方面の発展を考えている。
教育は建築計画,地域計画,建築設計を担当している。
大学院生,ゼミナール生など当研究室出身者は特定分野に偏っていないが,設計を志向する者が比較的多い。現今の風潮に影響される以前より,公務員希望者も少なくなかった。
なお,加藤隆は,1963年. 日本都市計画学会石川賞 設計計画部門「駒沢公園(協同)」の設計計画に対して賞を受けた。
【文中敬称略】
1.研究室の沿革
本研究室は,まだ歴史が浅く,平成4年4月に小林正美助教授(当時専任講師)によって創設された。基本的には,建築の設計デザインを軸に,住民参加のまちづくりや都市設計(アーバンフォーム)のありかたを研究すると共に、実践によるフィードバックを重視する態勢をとっている。具体的には,大学の施設である「明治大学生田ゲストハウス」の設計・監理について,先導的立場に立って,学生達と共に作業を行い,生きた設計教育を実践することができた。
歴史は短いながら,既にゼミの卒業生は延べ100名を超え,大学院の卒業生は47名を数えている。主な就職先は設計事務所を中心にインテリア事務所,ゼネコンの設計部などである。
2.研究実績
1)受賞関係
各種のデザイン競技や実際の建物デザインを通じ,以下の評価を得ている。
1993 神戸の将来/イメージ提案コンクール(優秀賞)
1993 明治大学駿河台キャンパス・施設整備総合計画(優秀賞)
1999 岡山県高梁市 街並みデザイン賞
2)まちづくり関係
実際の地方都市のまちづくりに参加し,調査,協議,提案を継続的に行っている。
1994~ 岡山県高梁市のまちづくりにおける一連の活動
1999~ 兵庫県姫路市中心市街地における一連の活動
1999~ 長野県茅野市中心市街地における一連の活動
3)学会発表
「都市における介入(アーバン・インターベンション)」というテーマを軸に都市の構成要素(アーバンファブリック)の分布について分析し,毎年,研究成果を学会で発表している。
3.現在の研究内容
地理情報システム(GIS)を分析トゥールとして用い,継時的なアーバンフォームの変化を追跡すると共に,計画された建物が都市に与える影響,都市が個々の建物に与える形態的影響などを分析している。
具体的には東京都内の数ヵ所と地方都市の中心市街地を同時に研究対象として扱い,比較分析を織りこみながら,地域をどの方向に導くべきかという議論のための指標作成を行っている。
小林正美 略歴
1977 東京大学工学部建築学科卒業
1979 同大学院修士課程修了
1979-85 丹下健三・都市建築設計研究所
1988 ハーバード大学大学院修士課程修了(フルブライド奨学金)
1989 東京大学大学院博士課程修了
1992-96 明治大学専任講師
1996- 明治大学助教授
【文中敬称略】